撮影:上土井正行
広島の川は「動く道」でした。舟運で賑わった中島本町(現平和公園)界隈は、中国山地からの木材や鉄、外界に通じる海からの物資の集積地であり文化の要衝でした。
土橋に残る常夜灯や、市内に約400と言われる雁木はその名残であり遺産です。この地の発展と共に、海へ海へと干拓によって延びた川は広島の歴史そのものといえます。
戦後も長く、渡し船が残り、子供たちが遊び、また住居も立ち並ぶ日々の営みの場所でもありました。
多くの橋の下で幾度となく繰り返されてきた満ち干から、何かしらの学びを得ることができないか。そのために必要なほんの少しの想像力と知識をみなさんと共有したいと考えます。
物であれ場所であれ、人は所有感がないと深い愛着は持ち得ません。公共の場所でありながらも自分たちの大事な場所というかつてあった感覚を取り戻したい。
そんな思いから、私たちは川辺を「縁側」と定義しました。川が道で川辺は縁側、とするならば、広島は私たちの家なのです。
縁側での多くの体験や出会いが、「我が家」への深い思いと愛着を持つきっかけになってほしい。そして行き交う人を受け入れる場所にもなればいい。
さまざまな取り組みやイベントを通して、広島の古くて新しい魅力をみなさんと共につくっていければと考えます。
干潮時に川辺や橋の上から川を眺めると、たわむれる蟹やサギと共に、捨てられた自転車やごみを見ることができます。この根本的解決には市民の意識を変えるほかありません。
美観的なことだけでなく、より良い環境を次世代に引き継ぐための声を、小さいながらも川辺から上げていきたい。海洋プラスチックごみの多くは川から流れ出ています。
川は山から海へ、そして世界へと繋がっています。舟運の時代には目に見えた繋がりを、環境の観点から可視化する時期に来ているとはいえないでしょうか。
川を考えることは地球を考えること−。世界が取り組むSDGsの観点から、何ができるかをみなさんと考え、できることからはじめていきたいと考えます。
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※大田川放水路完成後に旧市内の川辺の催しが広く可能になったことを踏まえ、放水路関連も入れた。
※全て初回の年(継続しているものも既に開催されていないものも含む)
広島の歴史は治水の歴史と言っても過言ではありません。現在の基町環境護岸は、先人の多くの困難の上に成り立っています。以下のWikipediaが詳しいのでご参照ください。
太田川基町護岸
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
「都市の縁側をつくる」ことを目標とした1976年に始まった中村良夫・東京工業大学名誉教授らによる基町環境護岸建設プロジェクトの軌跡を綴っている。「水の都ひろしま」を知る好著。
広島デルタ中心街に注ぎ込む太田川の基町環境護岸で”Hiroshima Bossa Open Cafe” が開かれる。南米ブラジルの調べボサノバを楽しみ、シュラスコ料理やコーヒーを味わい、語り合う。「川の街」を彩る市民有志の新たな催しを前に、基町護岸やその一帯をあらためて見つめ歩いてみたい。被爆地ヒロシマで忘れられかけている史実が潜み、息づいてもいるからだ。
Hiroshima Bossa Open Cafe
hiroshimabossa.com